動物ボランディア団体全国民間ネットワークでは警戒区域内の動物救済に向けて様々な情報収集を行っていますが、6月13日に警戒区域への立ち入りの可能性が出てきたという情報を得、早速南相馬市に向かうことにしました。
出発当日まで立ち入りが出来るかどうか定かではなかったのですが、防護服等の準備をし、捕獲器を積み込み、南相馬市を目指しました。
まず最初に南相馬市に集合し、現地ボランティアさんとも合流し、活動内容の確認をしました。
残念ながら、警戒区域内への立ち入りは許可が出なかったのですが、警戒区域内の救出以外にもやるべき事は山のようにあります。
8名が3チームに分かれて活動する事になりました。
●Aチーム→鶏の捕獲、支援物資お届け
●Bチーム→避難所巡り(南相馬市)、シェルター訪問
●Cチーム→避難所巡り(相馬市)、シェルター訪問
市役所の中は、たくさんの人で溢れかえっていました。
生活再建に向けて、さまざまな申請や手続きなどがあるのでしょう。
市役所職員も非常に忙しそうです。
また、入ってすぐの所に動物関係のチラシコーナーが設置されていました。
ペットを探している人、預かっているペットの飼い主を捜している人・・・
熱心に覗き込む姿が見られました。
これらのペットが一日でも早く、1匹でも多く、もとの生活に戻れるにはどんな支援が必要で、そして効果的なのか考えさせられました。
南相馬市役所前には「猫おばさん」で有名なYさんもいらっしゃいました。
私たちも、ほんの少しの時間ですが、Yさんに代わって市役所前に立ちました。
その間にもたくさんの人から声をかけていただき、さらにはいろいろな相談も受けました。
助けて欲しいと願っている人がいて、助けたいと思う私たちがいる。
ただそれだけの事です。
獣医師も私たち民間ボランティアも許可さえ出ればいつでも警戒区域での救出活動をする準備はできているのです。
どうしてそれが許されない事なのか・・・
市役所訪問で情報収集をした後、Yさんのお招きで避難所を訪問する事になりました。
避難所の様子は、連日のように報道される情報で知っているつもりでした。
でも、実際に避難所の中に入り、その雰囲気を感じてみると、それは私が想像していたよりもはるかに厳しく過酷な生活であるということを思い知らされました。
Yさんの生活スペースは、敷きっぱなしにになった布団1枚分・・・。
体育館の床には畳も敷いていなかったので、床の上に直接布団が敷いてあり、Yさんの周りには段ボールの仕切りさえありません。すべてがむき出しです。
当然プライバシーも皆無です。そんな中での生活がすでに3ヶ月。
「ここに一日中いたら頭がおかしくなっちゃうの。」
「テレビはあるけれど、どうせ怖いニュースしかやっていないし見ないの。見てもしょうがないもの。」
「国にも県にも全く期待してないわ。」
自宅に戻れるのがいつになるのか、本当に戻れるのか全く分からない、この生活がいつまで続くのか、これからどうなるのが先が全く見えない・・・これ以上、不安で苦しい事はないのではないでしょうか。
でもYさんはこんな辛い状況にありながら、必死で警戒区域の犬猫を救出するために戦っています。
電話番号を公開した事によって、様々な相談、救出依頼がくるそうで、それを1件1件、丁寧にノートにまとめ、警戒区域内で待っていると思われる犬猫の情報を地図にまとめているそうです。
その資料を見せていただきました。
またこちらの避難所でのペットの状況をお聞きしました。
こちらでは、ペットと一緒の避難が許可されているとの事。
ケージに入れてペットを置くスペースがあるそうです。
見学させていただこうと思ったのですが、見学はNGとの事。
以前、ここで飼われていたわんちゃんに避難者がお弁当の残りなどを勝手に食べさるようになり、飼育者との間でトラブルになり、飼育者以外は近づく事が出来なくなったそうです。
ペット可の避難所であっても、そこで暮らしていくには様々な問題があることに気づかされました。
また、こちらの避難所では、生活の見通しがまるで立たない状況の方もたくさんいらっしゃるようでした。
もし、ペットとはぐれてしまっていたとしても、ペットを探そうという気持ちにはとてもなれない人も多いのではないかと感じました。
自分の生活さえままならず、ましてや先の見通しもない状況の中で、生きる事に精一杯の人に対して、「ペットを探して下さい。一緒に暮らせる努力をして下さい。」と言うのは、逆にその人を追いつめ、さらにはペットを手放す選択をする人を増やすだけなのではないかと思いました。
「この状況ではとてもペットの事なんて考える余裕がない。新しい飼い主を捜して欲しい。」という人を増やしてしまう事は、結果的に「ペットを家族の一員として最後まで責任を持って飼う」という飼い主ではなく、「もう飼えなくなったから。」という理由で、ペットを捨ててしまったり、センターに持ち込んでしまう飼い主になってしまう可能性があるような気がしました。
このような状態に人には、「ペットを探そう。もう一度一緒に暮らそう。」という気持ちになるまで待つ事も必要なのではないかと思いました。
そして、状況が整ったら、すぐに探せる状態にしておく。
それにはなんといっても生活再建の目処が立つ事が第一条件です。
しかし残念ながら、こればかりは動物ボランティアの私たちではどうにもならない部分でもあります。
行政での対応をお願いするしかありません。
次に相馬市の避難所に向かいました。
こちらはでは2カ所の避難所を訪問しました。
最初に訪問したのは、比較的規模の大きい避難所です。
アポなしの訪問だったので、話を聞けるどうか心配だったのですが、受付の方がとても快く協力して下さり、ペットを飼っている避難者の方にお話を伺う事が出来ました。
まず最初に感じたのは、1件目の避難所とは雰囲気が全然違う!という事でした。
建物も立派で、空調も完備されています。
そして、避難者も明るいのです。
あまりにも雰囲気が違うので不思議に思っていたのですが、理由がわかりました。
こちらの避難所は17日で閉鎖されるとの事。
つまり、全員が仮設への入居が決まったり、新しい生活に向けてスタートをきる事が決まった人たちだったからという事に気づきました。
お話を伺った若い女性も「ペット可の仮設に入居が決まったので、一緒に避難し、その後、避難所がペット不可だったため、親戚に預けていた愛猫とやっと一緒に暮らせるんです!」と嬉しそうに教えてくれました。
新しい生活の目処が立ち、離ればなれだった愛猫と一緒の生活も目前となったその女性は、本当に明るい笑顔で、愛猫との避難の様子やこれから去勢手術をしようと思っているという事など、とにかく前向きな話をたくさんしてくれました。
生活の目処が立つという事はこれだけ人を前向きにし、笑顔にするんだという事を強く感じたのでした。
また、もう一人の女性から伺った話もとても印象的でした。
その女性は、犬を飼っていたそうなのですが、避難の際に犬は一緒に連れて行けないと判断したので、鎖をはずし、犬を逃がしてから避難したそうです。
「避難生活の間、犬の事はすっかり忘れていました。でも、新しい生活の目処が立ち始め、やっと前を向こうという気持ちになった頃、子供が避難所に貼ってあった1枚のポスターを見て、うちの犬だと言ったんです。そこでやっと犬の事を思い出しました。子供が犬の事が大好きだったので、犬を探そうという気持ちにやっとなりました。」
犬を飼っていた事さえ忘れていた・・・つまり、それだけ自分たちの生活だけで精一杯だったという事なのだと思いました。
飼い犬の事を忘れてしまったという事、それまで探そうとう気持ちになれなかった事を決して責める事は出来ません。
その女性にとって飼い犬を探そうという気持ちになるまで3ヶ月が必要だったのです。
もしこの女性に対して、生活の目処が立つ前に「ペットを探して下さい。一緒に暮らせる努力をして下さい。」と言っていたとしたら、果たしてペットを探そうという気持ちになったでしょうか?
「生活の目処も立っていないし、とても一緒に生活するなんて無理です。新しい飼い主を捜して下さい。」となっていたかもしれません。
避難者の状況を理解し、避難者の心に寄り添った支援をしていかないと、逆に避難者を追いつめてしまったり、安易に手放す決断をさせてしまう可能性もなきにしもあらずだなと感じました。
ペットを家族の元に帰すためには、まず避難者の声に耳を傾け、その避難者がどんな支援を求めているのかを知り、その人の状況に合った支援をして行く事が大切だと思いました。
では、そのためには私たちはまず何をしたらいいのだろう・・・
どんな支援が必要なのだろう・・・
考えるべき事、やるべき事は山のようにあります。
でも、どんな時も忘れてはいけないのが、避難者の心に寄り添った支援であるという事。
動物を助ける事だけが目的となり、避難者の気持ちを無視した支援となってしまっては、それは決して支援とは言えないはずです。
私たちネットワークだからこそできる事がたくさんあるはずです。