放射能災害でなければ、これほど問題が露呈することはなかったのだろう。被災地に入れないことによって、そこに残された動物をどうするかを巡り、行政と民間の認識の違いが明らかとなった。
福島警戒区域。そこは日本の動物行政の縮図である。
避妊去勢の広まらない教育の遅れ、犬猫を探さない飼い主、「助けた人の自己責任」で民間へ丸投げする行政、売名ボランティア業者へ流れた巨額の義捐金、公的シェルターに入れる動物、そうでない動物のカテゴリー分類。行政と連携していなければ義捐金もフードの提供も受けられない仕組み。
未だに終わらない、未だに解決しない、未だにあきらめないで待っている猫に餌を運ぶボランティアたち。
2013年施行の法改正により、動物愛護管理推進計画のなかに災害時における動物の適正飼養・管理の施策を含めることや、愛護推進員の活用の推進、産業動物の生存の機会の拡大などが謳われた。付帯決議には、地域防災計画へ被災動物対応を明記するよう働きかけをすべきとある。(市町村の足並みをそろえるのは大変だろうが)同伴避難の基本が示された。また、環境省により「災害時におけるペットの救護対策ガイドライン」が発行され、平常時の対策、体制の整備、役割分担が示された。
だが、環境省が発行した「東日本大震災における被災動物対応記録集」(平成25年6月発行)を読んでから、私は懐疑的だ。民間団体の果たした役割に触れない、あるいは過小評価するなど、記述について非常に問題があると感じるからだ。福島の動物保護問題の現実をきちんと伝えていないことで、今後の協働に禍根を残す可能性がある。オフィシャルな目線で書かれたこの記録集に対し、私たち民間ボランティアは、現場に立って真実を、問題解決には遠い実態を、国民の皆さんに伝えていかねばならないとの思いを強くしている。
もしも次の原子力災害が発生し、再び警戒区域が設定されたら、残された動物たちを今度こそは効率よく助けられるのだろうか。助けるためには、何が必要か。どうしても協力と役割分担が必要だが、それは過去の失敗から学んでいくしかない。そのためには、この2年半を検証し、反省点を洗いざらい描き出し、行政と民間の認識の違いを整理して、すりあわせ、次回こそは協働できる態勢をつくっていくことが大切だと思われる。
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