私たちは、全国157団体からなる全国動物ネットワークで、情報共有と団結をめざして2011年5月より活動しております。
私たちは日頃、犬猫の保護譲渡活動を中心に行ってまいりましたが、このたびは太地町でのイルカ漁廃止の要望書を環境省、農水省、水産庁、和歌山県、太地町、漁業組合宛に提出することになりました。
日本には、イルカ漁をやめて頂きたいと考える住民も多くいることを、国内・国外の皆様にお知らせしたいと存じます。特に、私たち動物愛護団体として、イルカ漁の処分方法が非人道的であることを、動物愛護の観点より訴えたいと存じます。
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イルカ追い込み漁の実態を伝える映画、THE COVEをまずご覧下さい。隠しカメラで撮影された映像を使用したこと等で批判され、また右翼系の市民団体から映画館での上映が妨害されてきました。まったく問題がない映画ではありません。しかし、太地で何が起こっているのかまったく知らなかった私たち国民の前に、イルカ漁の実態を露わにしてくれたことは間違いありません。
防水シートや立て看板で隠さねばならないほどの非人道性、残虐性。畠尻湾で行われているのは、先進国の牛・豚のと殺場では許されないような、福祉に反する虐殺です。
太地町のイルカ殺処分方法についての動画および獣医学的・動物行動学上の分析に基づく資料を拝読しましたが、「一瞬で死ぬ」との国や県の説明は詭弁でした。脊髄に正しく銛を打ち込むという、高度な技術をもってしても、大型哺乳類であるイルカを一気に殺すことはありえません。わが身の安全を第一に漁師の作業が進む現場では、「福祉」は理論でしかありません。頭や背中に何度も銛を打ち込まれ、脳に損傷はないので痛みを感じ続ける、海に血が流れぬよう栓をすることによりかえって致死時間が延長された結果の、時間をかけて苦痛を感じる出血死です。
どうかこのような残虐な殺処分を許し続けることのない日本であってほしいのです。
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イルカの追い込み漁は、1969年に始まったもので、伝統とはいえません。
その主なる目的は食用でなく水族館への生体販売です。太地町クジラ博物館から中国大連に転売されたイルカは1頭520万円でした(太地町役場からの聞き取り)。人と自然との共生を教育すべき立場にある水族館が、日本では追い込み漁をささえています。国際水族館動物園協会では、残酷な追い込み漁により捕獲されたイルカの購入・輸入を禁止しています。
畠尻湾に追い込まれたイルカたちは、翌日、「園館さん」と呼ばれる水族館トレーナーたちが全国から到着すると、次々に選別され、水族館用に生け捕りにされていきます。資料によれば1頭70万円ほどと読みました。(残ったイルカはその10分の1の値段、それ以下で、食肉としてついでのように殺されます。イルカ肉には規定値以上の水銀がはいっており、住民の健康を害することも、国はなかなか認めませんし、国策に反する話題はマスコミも報道しません。)
イルカは30年生きるそうですが、水族館・博物館のイルカは平均寿命4年といいます。イルカが死んでも、また次のイルカが太地町から補充されます。
イルカ全員があっという間にストレスで死んでしまった話もあります。
日本では、水族館の存在が、イルカの残酷な追い込み漁を支え続けているという構造があります。ここを変えていくことが必要です。実態を知った国民が声をあげていくことが求められます。
世界では、野生動物を捕獲し、狭い環境に囲い込み、ストレスで殺してしまう、つまり虐待にほかならない存在である水族館や動物園は廃止されつつあります。太地町のイルカを仕入れている水族館・博物館は、残酷な追い込み漁の共犯者であることを、いったいどう捉えていらっしゃるのでしょうか。
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数百名いる漁師さんを抱える太地町の漁業組合で、イルカ漁に従事する漁師はたった24人です(太地町役場から聞き取り)。多くの漁師はエビや魚をとっていらっしゃいます。畠尻湾での残虐なイルカ漁はなくてもいいと思っている町民もいらっしゃるそうですが、村社会なのでお上に逆らう意見を明らかにできないだけです。
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私どもはこれまで犬猫をめぐる殺処分や遺棄、福島に残された犬猫問題を中心に発言して参りましたが、私たちのようにイルカ漁問題には関わってこなかった団体までが、イルカ漁の残虐性、違法性に、国民として声をあげざるをえないような状況があるということを国や県には認識して頂きたく思います。
残虐なイルカ追い込み漁を、世界の批判をあびながら、「伝統文化」の名の下に強行し続けていくことは、日本の国益に反します。
この地球は人間だけのものではありません。すべての生命体との平和的な共存
こそが求められます。不必要な恐怖や痛みを無辜の動物に与えるのはただちにやめるべきです。
人や動物を殺傷し、切り刻むための予算、つまり軍事や科学的(?)研究に投じる巨額の予算の一部でも、太地イルカ漁廃止後に、漁師たち24人の生活を支える保障に回して頂くことを願います。
イルカ漁をただちにやめて下さい。
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要望書
2014年2月6日
内閣総理大臣 安倍 晋三 殿
環境大臣 石原 伸晃 殿
農林水産大臣 林 芳正 殿
水産庁長官 本川 一善 殿
和歌山県知事 仁坂 吉伸 殿
太地町長 三軒 一高 殿
太地町漁業協同組合 組合長 殿
要望の趣旨
イルカ追い込み漁を直ちにやめてください。
要望の理由
1.イルカ漁は、その捕殺方法を含めた漁法自体が残酷である。
現在、わが国で行われているイルカ漁(イルカは、野生の哺乳類なので、「猟」という文字を用いるのが正しいが、現在和歌山県太地町で行われているイルカ漁は、法令上は、漁業法第65条第1項、水産資源保護法第4条第1項、和歌山県漁業調整規則第7条第17号に基づくものであり、漁業という捉え方をされているので、この要望書では、「漁」という文字を用いる)には2種類ある。即ち、突棒漁と追い込み漁である。
本件で問題とする追い込み漁は、狭い湾内に群ごと追込み、網で囲い込んで逃走不能な状態に陥らせて、生け捕りにし、或いは恐怖のためにパニックに陥ったイルカの中から無作為に捕殺するものであり、群全体に多大な恐怖心を与える上、殺害されるイルカに関しては、絶命するまでに長時間を要するものであり、殺害されないイルカに関しても、恐怖のためにショック死をしたり、精神に異常をきたす個体もあり、極めて非人道的な漁法である(一方、突棒漁は、船上から銛でイルカを突き刺して捕獲するものであって、苦痛が大きい上、絶命するまでに長時間を要するものであり、これもまた、非人道的な漁法である)。
現実に、イルカ漁には透明性・公開性がなく、実際殺害時には見えないようにシートで隠されている。一方、イルカの追い込み漁ではこれまで動物福祉に反する残酷な事例が多数報告されている。イルカ漁には、以下のような現実がある。
(1) 追い込み時に漁船から水中に鉄パイプを差し入れて激しく叩きイルカの音波探知機能を撹乱してパニック状態にする。
(2) 生け捕り時にはイルカを執拗に追い回し、パニック状態に陥ったイルカは漁船や仲間同士で激しくぶつかり血だらけになっていること、漁網に絡まって窒息死するもの、パニックで溺死するもの、捕獲時にショック死することが報告されている。
(3) 傷や衰弱などのため生体として売り物にならないイルカは殺害されるが、殺害時には「金属棒が噴気孔に刺しこまれ、出血、窒息して死ぬまで放置された」との報告がある。
(4) 不要となったイルカは再び海へ返されるが、その時には衰弱してひどく傷ついており野生で生き延び、繁殖を続ける事が困難といわれている。
(5) ストレスのため搬送先の水族館でも死亡する。
イルカ漁における生け捕りは、水族館に送るためになされるが、このように娯楽目的の水族館にイルカを送り込むために、その過程で多数のイルカが犠牲になっている。
ところで、日本の法令には動物福祉に反する残酷な捕獲方法、残酷な殺処分方法への規制・罰則はなく、また第三者機関によって監視検証する制度もない。イルカは野生の哺乳類(鯨偶蹄目のうち、小型の歯鯨類)であるにもかかわらず、野生の哺乳類を対象とした鳥獣保護法の規制対象から外され(同法80条1項、同法施行規則78条2項)、漁業法による規制対象とされている(主に家庭動物を対象とした動物愛護法の規制対象でもない)。また、イルカは、IWCの規制対象からも外されている。現在、わが国においては、イルカ(大型の歯鯨類やひげ鯨類も同断である)の捕殺に関しては、全く法規制がない無法状態であると言わねばならない。
諸外国では食肉用動物に対する飼育・輸送・屠殺時の福祉の理念が一般化しており、動物福祉上の規制・法令がまったくない日本の現状は、世界的に見ても問題が多い。世界178の国と地域が加盟し、日本も加盟しているOIE(国際獣疫事務局)の規約では「動物福祉には、人道にかなった取り扱い、無痛屠殺・殺処分が必要になる」とし、「動物が苦痛、恐怖、疲れなど好ましからざる状態に苦しんでいない」ことを必要としている。また殺処分は「即死もしくは即時の意識喪失状態のまま死ぬという結果になるべきである。意識喪失が瞬間的に起きない場合、意識喪失への誘導は、嫌悪を起こさせない,あるいは動物の嫌悪が出来る限り最小限に押さえられるべきである。」とし、さらに「動物に避けられるべき不安、肉体的苦痛、疲労や精神的苦痛をもたらしてはならない。」と述べている。この規約は、野生のイルカを対象にしたものではないが、この趣旨は、当然、食料とされるために殺されるイルカについても考慮されるべきことであり、このような観点から見ても、イルカ追い込み漁は動物福祉にかなった捕獲方法・殺処分方法を用いておらず残酷であるといわねばならない。
国・和歌山県側の「捕殺方法は毎年改善されている」との主張を裏付ける岩﨑氏及び貝氏(2010年)の「和歌山県太地町のイルカ追い込み漁業における捕殺方法の改善」の見解には、金属棒を何度も差し込み流血を防ぐため栓をする=即刻の無感覚、一瞬で死ぬから苦しまないことが強調される。しかし、私たちはその見解には懐疑的である。なぜなら、近年の動画分析に基づいて、英国のブリストル獣医大学・ニューヨーク市大学ほか海外の研究者らが行った「現在日本の太地で施行されるイルカ追い込み漁の捕殺方法の獣医学的・行動学的分析」と題した論文のなかで、「椎骨血管及び血管叢の損傷は顕著な出血を引き起こすが大型ほ乳類に迅速な死をもたらさない/出血を妨げるのに栓をすることで致死時間を延長してしまう/脊髄の切断には高精度の操作が必要だが動画ではそれが実行されたとは考えにくい/脳は損傷しないのでずっと痛みを感じることになる/致死時間をどこに定めるかの問題がある」との分析結果が出されており、国・県の見解とはまっこうから対立するものだからである。
米国獣医学会AVMAは、「科学的、人道的、倫理的な観点からみて、追い込み漁のイルカに対する処置は、現代社会で認識されている動物福祉の基準と反する」と記述する。
私たちが見ることのできる限られた動画ですら、追い込み漁の残忍さを伝えるに十分であり、見る者だれしもに衝撃を与える。
2.イルカは高度な知能と伝達能力、喜怒哀楽の感情を有する動物である。
イルカは、他の多くの哺乳類に比してぬきんでた高度の知能や伝達能力を有すると同時に、犬や猫と同様に喜怒哀楽の感情を有する、情感豊かな動物である。このような動物に対して前記のような非常な恐怖を与えることは、極めて非人道的である。
またイルカは、家族を形成し、仲間として連帯感を持った群を作って生活している。前述のブリストル獣医大学・ニューヨーク市大学の論文には、「捕殺行程は数時間~数日かかり、家族や仲間達と非常に接近した状態で殺される/手技実施中ずっと鳴き声が聞こえていた/イルカは非常に社交性の高い哺乳類」との記述がある。イルカ漁は、必然的に家族の崩壊をもたらし、群に対して大きな傷を与える。家族や仲間を失った他の個体に対して、多大な精神的衝撃を与える。イルカ漁は、捕殺する個体のみならず、その家族や群に対しても大きな被害を与えるのである。
3.イルカは希少な野生動物であり、保護の対象であるべきである(CITES付属書II)。
現代において、イルカは、希少な野生動物であり、保護の対象とされるべきであるし、野生の状態において、私たちヒトと地球上の生活空間を共有する友として付き合っていくべき相手である。
和歌山県や国等は、イルカの捕獲については、国(具体的には、独立行政法人水産総合研究センター)が行う科学的調査に基づいて、資源量が十分な種類のイルカについてのみ、毎年捕獲数を定めて行われている、などと主張している。しかし、同センターが行う「科学的調査」とは、目視調査に過ぎず、科学的調査の名に値しない。しかも同センターは、役員の大多数(理事については全員)が水産庁の天下り官僚で占められており、体質的に国の政策に反する「調査」を行うことが困難であると考えられる上、同センターの行う「調査」や事業については第三者による検証がなされる体制にはなっておらず、その「調査」結果には信用性がない。つまるところ、現在わが国で行われているイルカの捕獲は、杜撰そのものであり、野生動物の保護の見地から、十分なものであるとは到底言えない。
しかも、野生動物との付き合いは、文明の発展とともに必然的に変化していくべきものである。かつては駆除・防除ないしは狩漁の対象でしかなかった狼や大型ネコ科動物が、現在では、その生活環境ないしそれが生息する生態系全体を含めて保護されるべきである、そのような生態系の保全自体が人類にとって有益な価値であると考えられるに至っている。それと同様に、現在、イルカは、それが暮らす海洋環境とともに野生の状態で保全されることが人類にとってのかけがえのない遺産であると認識されるに至っている。
国も、わが国の各自治体、各団体も、このような人類が到達した価値の重要さを認識すべきである。
4.イルカの追い込み漁は、日本古来の伝統とは関係がない。
イルカ漁は、わが国の伝統文化である、という立論が往々にしてなされる。しかし、太地町におけるイルカの追込み漁は、1960年代に初めて行われたものである(太地町史では1933年からとされるが)。しかも、その主な目的は、水族館への売買である。このような漁を、歴史や伝統ということはできない。
5.イルカを食物とする必要はない。
イルカは、重要な食材であるという立論もある。しかし、現に、多くの日本人はイルカが食料であることを知らない。仮に古来から食材として用いられていたものであったとしても、現在においては食材とすべきではなくなるものも多々ある。かつてはヒトやゾウ等は食材であった(地域が多々あった)。しかし、現在、これらを食材として用いている地域は地球上にはない。京都府にあった巨椋池の周囲では、現在特別天然記念物とされているイタセンパラ(タナゴの一種の淡水魚)を用いたタナゴ鮨が作られていたが、現在、この魚は食材として用いられていない。イルカもまた、食材とされるべき必要性は失われているものというべきである。
なお、諸外国においては、わが国のイルカ追い込み漁が伝統的な食文化などではなく、水族館への売買(一頭400万円以上とも言われている)が目的の商業捕鯨であることが見透かされており、伝統的な食文化論は相手にされていない。
6.世界の大勢はイルカ追い込み漁を禁止している。
世界動物園水族館協会は、その倫理規定において、イルカ追い込み漁を禁止し、日本の追い込み漁で捕獲されたイルカを輸入しないように警告を出している。
その上、諸外国では法律によってイルカの捕獲禁止、輸出入の禁止、水族館での展示禁止、鯨類を囲って飼育することの禁止、輸送の禁止などを行っている国が多い。
7.まとめ
以上のように、イルカ追い込み漁は非人道的であり、且つ、イルカ追い込み漁を存続させるべき積極的な理由はない。
従って、イルカ追い込み漁はただちに中止すべきである。また、国は、動物の保護に関する諸法令を改正し、野生動物を含む動物の取り扱い全般における、残酷な殺害の禁止を含めて、罰則を伴う動物福祉上の規制を整備すべきである。
<裏話1:電話での要望書提出アポとり>
イルカ漁の所管は、水産庁国際化捕鯨班です。
要望書を持参するので受け取って頂きたい、アポをとりたい、との事務的な電話をしましたが、電話口の若い声の男性から、要望書提出には手続があります、と言われました。
その手続を調べるので待って下さいと言われ、数十分後に電話を頂きました。
お電話で、こちら側の要望の内容を口頭で言わねばならない流れとなりました。
最初からこちらを探るような言い方に最初は警戒しましたが、、
建設的な話をしたいので、と言われて、お話ししました。
すると、先輩格の男性に電話が代わりました。
「今の会話を聞いていたが、受け取りません」とおっしゃいます。
イルカ漁を所管する水産庁が要望書を受け取らないと言う話は理解できませんので、持って行きます、と申し上げました。
年間のイルカ捕獲枠を定めるのは捕鯨班です。
そのもとになる調査をするのは(独立行政法人=ここは農水省の天下り団体)水産綜合研究センターであり、こことからんでいるのは、やはり捕鯨班になります。
ところが、水産綜合研究センターへ行け、と。
動物福祉の観点からなら、環境省に行くべき、ともおっしゃいました。
日時を決めたいだけであるのに、いきなり牛や豚はいいのになぜイルカがいけないのか?などの議論をされようとします。
こちらからは、そんな話はしていませんのに。
初めての電話でかなりのヒートぶりです。
非常に威圧的で、感情的、驚いてしまいました。
こちらはただ日取りを決めたいのです。
議論をしたいのでなく、アポをとりたいのです。
それを申しました。
イルカ漁に関する要望書を、捕鯨班が受け取らないとはどういうことでしょうか?
国民が要望書を持って行く、と言っているのです。
国は、受け止めるべきです。
弁護士に電話を交代しましたら、要望書を受け取らない、との話はもうされなくなりました。
今度は、郵送で送ってはいけないのか?とおっしゃいます。
いいえ、直接持って行きます、議論はそのときに、と弁護士が伝えて電話が終わりました。
<裏話2:記者クラブというものは、国策に反する要望書の記者会見は受けないの?>
水産庁に提出した要望書に関する記者会見を、農水省記者クラブに申請しました。しかし、記者クラブは、イルカ漁は国策で、国として推進しているので、記者会見を受けられない、と言いました。そこで、私たちは環境省の記者クラブにて記者会見を申請するしかありませんでした。
船の舳先で、望遠鏡を片手に、ペンの力で船の舵を取りながら、司法や政府の横暴から国民を守るのがほんとうの記者であると信じています。
<裏話3:水産庁捕鯨班への要望書提出>
一筋縄ではいかないだろうと、1時間早めに到着し、受付をしようとしたら、やはり跳ね返されました。郵送で送れと。
捕鯨班によると、要望書は、予め内容を見て、合意した上でなければ受け取れない、とのことでした。
電話で、持参する旨をお伝えしてあります、と申し上げましたが、受付の警備さんもお困りでした。
捕鯨班では受付ないので、漁場資源課に問い合わせましたが、やはり捕鯨班で受け取らないならだめだと言います。
私たちは水産庁の寒いロビーで1時間うろついていました。
結局、捕鯨班の担当者が受付に降りてこられ、水産庁と農水省への要望書を受け取って頂けました。収受印もなく、サインでしたが、ひとまず提出することができました。
要望書をじかに提出など今回が初めてである、これまでは郵送だった、とおっしゃいました。(???)
写真とビデオは使わない、という条件で担当者が受け取りに来られたため、提出の場面は写真でのご報告ができません。このような警戒ぶりに、大変驚きました。
これまで、環境省に動物問題で要望書を提出をしたときには、撮影もしましたし、時間と場所をとってゆっくり対話もできました。
今回の、市民団体に対する、このような門前払い同然の、要望書いやいや受け取り状況に、そして記者クラブの対応に、国民として、いったいこの国はどうなってしまうのだろうとの不安がよぎります。
ますます民主主義が脅かされています。
いつから官僚はここまで横暴になったのでしょうか。
犬猫問題には、まだ人の関心もあつまり、国会議員の議連もあり、マスコミの報道もありますが、隠された湾で虐殺されるイルカたちの現実を問題視し、楯になろうとする国民や議員はまだ少数です。
どう変えていくか、は
どう知らせていくか、です。
みなさんのお力をお貸しください。
情報をください。
私たちも考え、動いていきます。
あきらめません。
何としてもやめさせたいです。