常総の水害では、ご心配おかけしております。
常総水害の被災動物支援のために、日夜動き回っていますが、
先日、突然、週刊新潮の記者三品純氏から電話がありました。
今度「行き過ぎた動物愛護」というタイトルで、記事を準備している。
取材をしたい、と。
常総水害の現場で寝る間もなく動く私たちに、なぜこのようなタイトルで取材を申し込むのか、動物愛護活動への妨害としか思えず、理解に苦しみます。動物愛 護週間は、広く国民に、動物愛護の精神を広め、啓発をすべき時期です。この国の動物愛護事情は、犬猫の殺処分の数の多さや、パピーミルや劣悪ペットショッ
プを成立させている犬猫流通システム、進まない避妊去勢、遺棄や虐待の横行、動物実験規制の実質ゼロなどにより、世界の潮流に比べてかなりの遅れをとって いることは明らかです。
メディアというものは、世論の感情論に押されず、よく資料を集めて勉強をし、世界の流れに目を向け、国民の意識を啓発し変え、よりよい社会づくりのために、国に貢献しなければいけない存在だと思っています。
ところが週刊新潮は、「行き過ぎた動物愛護」といったイメージの記事を準備している、といいます。
動物愛護週間に、このような記事を書くとは、さすが週刊新潮だけあります。
このところ、私の携帯に留守電が何度も執拗にかかってきていました。
昨日20日は、取材に応えなければ、コメントがなかったと記事に書くことになる、どうしても取材したいので連絡をほしいと。今夜のうちにでなければ間に合わない、とも入っていました。
メールで下記の質問がきたので、忙しくて対応できないため、仲間のSCさんに連絡を入れてもらいました。すると、質問について30分ほど話をしたそうで、 記事を書いた後、原稿確認を事前にさせて頂くとの約束が、いきなり話が変わって、最終的に原稿は見せられない、となったそうです。
そこで、私から三品氏と、続いて週刊新潮編集部の荻原信也氏に抗議の電話をしました。
三品氏は、とてもお話しになりません。
企画編集をしたのは、荻原信也氏です。以前に、佐藤優氏から新潮社が訴えられたとき、証人として出廷したこともある人です。今回はこの荻原氏がフリージャーナリストの三品氏に執筆依頼をしたことがわかりました。
やはり、諏訪大社の蛙狩神事でした。生きたまま、蛙を串刺しにする伝統行事に対し、私たちは諏訪大社に人形等の代替品を用いてほしいと要望してきました。
■新潮社の言い分:
「権威にたてつくとは何事か。伝統行事なのに何が悪い」
「元旦にプラカードをもって、迷惑だ」
このように、三品氏は言いました。
また荻原氏も、それが自分の感覚だと正直に話しました。
いま、安倍政権に反対し、多くの方が国会周辺に集まっています。このように、デモや集会は、国民に認められた表現の自由です。権威の横暴に対し、国民は異を唱えて意思表示をします。それまで否定したら、独裁国家です。
ジャーナリズムに関わる者は、だれよりもまっさきに、この表現の自由に、敏感でなければなりません。国民が、伝統や権威によって、人権や自由を迫害される ことがないよう、メディアは冷静に、知的に、資料をもって権威の横暴に歯止めをかけ、国民を守り、あるべき方向に導くものであるべきです。
蛙の串刺しに、たった10人が異を唱え、雪のなかに立った。
その行為が目障りだといって、このようなバッシング記事を書こうとは、何事でしょう。
三品氏と荻原氏は、まったく個人的な「感覚」(そうおっしゃいました)で、私たちへの攻撃を準備しているようです。記事の執筆に、何を資料として用いるのか、を尋ねました。
きちんとした返答は荻原氏にも、三品氏にも、ありません。
ただ、伝統だから、の一点張りです。
地元新聞社は、諏訪大社の息がかかり、まっとうな記事を書けません。そんな偏った保守的な記事に翻弄され、ネットの右翼バッシングの波に乗り、「けしからん」のおやじ感覚によって、今回の記事を準備するとは。購読者を増やすため、餌食にするのは私たちですか。
個人的なただの「感覚」は、ツイッターでポストすればいいのです。
資料も、歴史的な考察も、世界の流れも、動物愛護法からの考察も、いっさい構わず、ただ伝統に刃向かうから、と???そんなのジャーナリズムにもなっていません。
原稿を見せると言っておいて、簡単に飜したM氏の不誠実さに驚きます。
取材をしておいて、記事を見せると約束しておいて、それを見せないのは、どういうことでしょう。
今回の記事が、この国の動物への虐待行為を見逃し、助長させるようなものになっていたら?
メディアが国民に与える影響は計り知れないのです。
荻原氏は、私に、取材に応えなければよかったでしょう、と言ってのけました。また、記事の責任者の名を問うと、名前をわかっているのに、「雑誌の裏に書いてある」と、教えません。
日本のジャーナリズムの幼児性がまた露呈しました。
三品氏の質問状はこれです:
+++++++++++++++++++++++++++++++++++++++;
週刊新潮のライターをしております三品純と申します。
突然のご連絡申し訳ございません。
さて本誌9月24日発売号にて現在の動物愛護問題についての特集記事を掲載する予定でございます。
その中で諏訪大社で行われる元旦の蛙狩神事について
伺いたいことがあります。
以下の質問にご回答を頂戴できれば幸いです。
できれば明日のお昼までにご回答を頂ければ幸いです。
(1) 来年の元旦にも抗議活動をご予定でしょうか。
(2) 今年の諏訪大社で抗議活動を行った時はどのような
スローガンを掲げておられましたか?
またスピーチ内容なども教えてください。
(3) 動物愛護ももちろん尊い概念ですが、諏訪大社の
蛙狩神社も地元の人にとっては伝統がある尊い行事です。
そこに踏み込むというのは乱暴なような気もしますが
こうした直接行動は今後も続けますか?
(4) 蛙を捕獲する時に活動家の方が川の中で寝そべって抗議をされたとの報道もありました。
私が地元で取材をしたところ川に降りるときに滑って転んだとの証言もありました。実際はどうだったのでしょうか。
***********************(以上、新潮社からのメール)
これに対して電話にて対応するも、結局は不誠実な回答ぶりだったため、
仲間が次のメールを送っています。
************************
もし蛙狩の件で記事を書かれるのでしたら、
①諏訪大社には、御手洗川に結界を張って他者の立ち入りを排除する権限などないこと、
②動物愛護法に違反する神事に要保護性はないこと、
③諏訪大社の氏子さん方には、動物愛護団体の皆さんや私に対する暴行罪が成立しうること、
④冬眠している無抵抗な蛙を串刺しにする神事は、五穀豊穣に逆行するだけでなく、神道の最高位にあられる「天皇陛下」と、陛下を象徴とする「日本国」のイメージを著しく毀損するものであること、
⑤諏訪大社の蛙狩神事は、生島足島神社の蛙狩神事の内容にも照らすと、元々は人間(河衆=かわず)が生け贄として串刺しや火炙り等にされていたと考えるのが合理的であること、
⑥諏訪大社の御頭祭では、明治の頃まで、75頭の鹿が首を切断され、生首が渡り廊下に並べられていたこと、
(これも当時は、大切な伝承の神事として守られていたのでしょうが、もし現代において再現したら、世界中からバッシングされるでしょう。蛙の活け作りを提供していた新宿の寿司店のように。)
⑦日本は戦前の過ちから立ち直る必要があること。動物愛護と人権擁護は密接に繋がっており、人権擁護だけを実現することはできないこと。
等をぜひ書いていただきたいと存じます
客観的かつ公平な記事を期待しております。