■人間の暴力性、権威の無謬性
動物への虐待。
無抵抗の動物をみだりに痛めつけて苦しめる。
この人間のもつ暴力性はどこからくるのか。
いつも疑問に思います。
アウシュビッツやホロコーストについても、あれがなぜとめられなかったのか、様々な見解が発表されています。わずかなドイツ人に多数のユダヤ人。なぜあれがとめられなかったのか、と。誰かが立ち上がれば、と。
本来は連帯すべき人々が団結できない理由は何だったのか。
ドイツ将校が直接手を下すことをせず、同じユダヤ人に殺害、焼却処分をさせていたこと、自ら手を汚さず、祖国ドイツのために、その日に得られた成果たとえば金歯のいくつや髪じゅうたん何キロなどの報告書を綴ることで、よいこと、正しいことをしているのだという錯覚がドイツ人側にあった、と言われます。
支配される側にも、権力へのおもねり、行政への過信、役人への無謬(むびゅう)性、つまり、権力は正しくて間違わない、といった思い込みがあった。
今の日本の動物行政によく似た構造です。
大義名分があれば、人は自分の頭や感性で判断することを放棄しがちです。
特に日本人は伝統や権威をもつ集団に弱く、権力や行政に対し、無批判です。
生きた蛙を串刺しにする生け贄行事も、ふつうの人がやれば、みだりに苦しめることとして、動物愛護法の44条違反に問われますが、権威ある神社がやれば、疑問にも思わないのが日本です。
まず常識を疑ってみる、クリティックの知的精神が封殺される社会では、人権侵害やいじめが当然のごとくまかり通ります。
■犬猫を生かすのはタブー、殺すのが掟
子犬や猫をつかまえて短期間で殺してしまう、これには法的な根拠はありません。
徘徊する成犬をとらえて処分する法的根拠となる狂犬病予防法が制定された背景には、それに暗躍した国会議員とワクチン製造企業の癒着、そして利権構造があります。
動物を集めて殺す。このセンター運営に、年間2億の税金が投じられていることが、茨城県に開示請求をしてわかりました。
センターによる直接の譲渡数は年間で二十数匹のみ。
あとは、動物保護団体に引き取らせ、団体譲渡を譲渡実績にしているだけです。
毎年2億をかけて、センターを成立させている。
民間が2億をかけて、不妊手術と譲渡啓発事業をやれば、広島のように殺処分はあっという間になくなるでしょう。
なぜそれができないのか。
犬がいなくなれば、仕事がなくなる、
利権構造が成り立たなくなる、
犬を集めて殺すことが、仕事と利権を生み出している。
生かすことはタブー。
殺すのが掟。
特に、飼い主のいない犬猫に対する我が国の基本姿勢は、ずっとこうでした。
明治からの我が国の犬の扱いについて、県報や保健所の公文書を調べていますが、それがよくわかります。
■被災動物問題で見えた飼い主のいない犬猫への行政対応
東日本大震災の被災動物の扱い。
あれは、忘れることはできません。国の姿勢、緊急災害時動物救援本部の考えがよくわかりました。動物たちのためでなく、群がる業者や人間のための寄付金集めそのものでした。
国や都道府県、そして環境省の外郭団体である緊急災害時動物救援本部(動物愛護協会、日本動物福祉協会、日本愛玩動物協会、獣医師会が構成し、環境省や農水省の役人の天下り先である)は、巨額の寄付を集め、懐に入れ、被災動物に平等に使わず、批判を浴びると名称を変え、飼い主のいるペットのみ助けると、いきなり一方的に方向転換しました。
本気で被災動物を助け、保護し、生かすシェルターを作るということはしませんでした。
警戒区域のなかの動物たちのレスキューも、民間の請願をよそに、形だけに終わってしまいました。農水省の天下り組織の自然環境研究センターができレースで環境省と復興庁の企画コンペを落とし、多くが人件費や会議費に使われてしまいました。開示請求をしましたが会計報告は出されません。実態がどうだったか、再度の検証が必要です。
なされた不正、犯罪を、国民は忘れません。
全国動物ネットワークHPほかで、私たちが入手した資料を公開し、救援本部に対して問題提起をしていますので、ここでは詳しくは書きません。
■殺すシステム
環境省のサイトで公表されている通り、日本の動物行政は、収容した犬猫を、首輪つきでもなんでも、ほとんど殺していくシステムに置かれています。
行政が運営する動物愛護センターなどの生体の頭数は、未だにどこも、ごくわずかであり、数十匹にとどまっています。ゼロよりはむろんまし。でもその数は、やっている、というポーズでしかないレベルです。
本気で譲渡事業を県庁所在地の一等地で行い、ペットショップや繁殖業者を押し退けてでも、殺す予定の命を譲渡促進していかねばならない、生かそうとしていかねば、ほんものではありません。
行政は悪くない、すてるひとが悪い、と声高に言われます。
棄てる飼い主は悪い。もちろん。でも、だから行政は罪に問われないのでしょうか。
そんなことはありません。
みやざきオンブズマンの野中龍彦氏、公彦氏はじめ、各地の動物保護活動家の皆さんと調べを進めています。
不用犬の回収と殺害、
行政が行ってきたこれにも、法的な根拠はありません。
不用犬が、狂犬病に罹患しているわけではない。
狂犬病は60年、発生していないし、噛まれても、ワクチンもあるのです。
行政がやっているから正しいのだと、誰もが思い込んでいます。
不用犬、このレッテルを貼って、犬を集めて殺す。
このことは明治時代から、行政が行ってきたのですが、この不用犬、というのは、法的な根拠が欠如しているのです。でも平成28年度になっても未だに不用犬 、猫という言葉が生きている自治体があります。
福岡県
法令根拠皆無の不用犬買い上げは、狂犬病予防実績にされてきました。
不用犬がいなくなったら利権構造が成り立たないのです。
明治時代から、ヤクザのような犬捕獲部隊がいて、犬をとらえて役所から銭稼ぎをしていました。
登録をしない、鑑札を持たない犬を、行政が民家の庭から保健所に引っ張ってきた事例も見つかりました。
法律が変わり、昭和51年に不用犬の回収は廃止されました。
動物の保護及び管理に関する法律の「引取り」
に、すり替わったとも言えます。
が、それに代わるものとして、茨城県では、定時定点回収、つまり、決まった時間に決まった場所(役場や体育館裏など)で、行政が不用犬猫を集めて回収車に乗せ、センターに連れていく業務に変わりました。
公文書にそれが明記されています。
定時定点回収は数年前に廃止されましたが、不用犬、野犬の苦情というものは、集めて殺す動物行政には必要なのです。
犬の窃盗集団であった、ならず者の犬の駆除人、撲殺人が、役所から金銭をもらって犬を殺してきた。
それが、そっくりそのまま役場の機能に導入された。
動物行政組織を、窃盗集団、詐欺集団、と呼ぶ人もいます。
公文書を紐解くと、それはあながち的を得ていないわけではないのだと、分かってきました。
人間も動物です。
いじめ、差別、生け贄、死刑制度、虐殺。
ホロコースト。
こうしたものは、あってはならない、
人間の知恵でなくしていかなければなりません。
日本動物福祉協会所属だった山口氏は、日本で生かすシェルターをやったら、ホロコーストになる、と話されています。
その発言の証拠記録を聞き、耳を疑いました。
ホロコーストが行われているのは、今の行政の保健所や収容所です。これこそストップさせるべきもの。
私たちの税金で行われているのです。
子猫たち、負傷猫たちは、ペントバルビタール入りのミルクを飲まされて、このboxのなかで絶命します。@茨城県動物指導センター
猫はいまだに麻袋に入れている保健所もあります。
おなかをすかせて鳴いている幼い犬猫にミルクも与えない保健所もあります。
こうやって、ホロコーストが行われている。
生かすことをなぜ国や都道府県指定都市中核市がやらないのでしょう?
人手と予算をつけないのでしょう?
年間で県税2億をかけて、殺す業務を続け、譲渡はわずか二十数匹のみなのに。
民間のボランティアさんは愛情深く熱心です。
システムを整え給与を出せば優秀な人がたくさん集まります。そのシステムを早急に構築しなければ。
それなのに動物福祉協会の獣医師が、ホロコーストといって、生かす施設を否定?
そうやって、見捨てることばかりし、数を減らしてきれいにすることばかりに心を砕き、目の前の苦しむ生体の保護や譲渡から逃げてきた環境省の外郭団体、
生かすより、安楽死を進めてきた、官僚の天下り団体と、私たち現場のボランティアとは、まったく相容れません。
審議会のメンバーは、国や行政と繋がった、こうした人々が名を連ねています。
ここをどうにかしないと、法改正もまた骨抜きです。
法改定を阻むこうした組織に、真っ向から拮抗し、ほんとうに動物の側に立って動く皆さんとの共闘を目指して、新年を迎えたく思います。